[イーノ#1] iPhoneにはアフリカがある!
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先日のBrian Enoのサンレコのインタビューについての記事の続き
僕自身がイーノに聞きたいこととして「iPhoneにアフリカはあるか?」という質問を挙げました。iPhone「が」アフリカにあるかではなく、iPhone「に」アフリカはあるか、です。
この質問の元になっている1995年のWIREDの記事を久しぶりに読んでみたところ、これが抜群に面白い!1995年のインタビューだとはとても思えません。Last.fmやSecond Lifeの誕生を予告するような発言もみられます。テクノロジーと音楽、文化の関係についての深い洞察に改めて驚かされました。(インタビュワーがWiredの編集長のひとりでNew York Timesのコラムでも知られるKevin Kellyなだけに、単なるインタビューではなく対談のような雰囲気もあります。)
このWiredの記事を契機に、イーノの音楽と思想を読み解くポストをシリーズ的にいくつか書いてみようと思います。
「アフリカ」(的要素)
イーノ一流の言い回しでわかりにくいのですが、彼自身は「アフリカ」 という言葉をこんな風に使っています。
Classical music is music without Africa
クラシックは「アフリカ」を欠いた音楽だ
A nerd is a human being without Africa in him or her.
オタクとは「アフリカ」を欠いた人間のことだ
これだけで、なんとなくは伝わりますよね。本人もいっているとおり、逆人種差別的にもとられかねないですが、笑ってしまいました。アフリカの対義語を、仮にヨーロッパとします(KellyはWhite tribeという言葉を使っていたかと思いますが)。
それぞれ、関連するキーワードを挙げるとしたらこんな感じでしょうか。
- アフリカ ー 予測不能 自由 浮遊 身体的 カオス 有機的 連続的
- ヨーロッパ ー 規律 反復 固定 論理的 コントロール 無機的 離散的
あくまでもイーノが使っている意味でのアフリカとヨーロッパに関連する言葉であるということは明記しておきます。
そして、この発言です。
The problem with computers is that there is not enouch Africa in them.
コンピュータの問題とは、「アフリカ」が十分でないことだ
さらに、こう続けてます。
コンピュータは体のごく一部 -目とマウスを持った手- しか使わない。そこが問題だ。
もし僕が「iPhoneにはアフリカはあるか?」と聞いたら、イーノはなんと答えるでしょうか。きっと「今までのコンピュータよりはましだ」と答えるような気がします。
加速度センサによる体を使ったインタラクションは、ひとつの要素ですが、それだけではありません。むしろ大事なのは、何度もイーノが語っているように「予測不可能性」でしょう。むろんiPhoneもコンピュータですから、厳密なロジックによって動作していることはなんらPCと変わりません。ただ、そのサイズ、サイズからくる可搬性、ネットワークとの常時接続、センサ、GPS、マイクなどの要素がパッケージ化されたことで、「外乱」disturbance が、厳密なロジックの世界に持ち込まれたということです。正確にはiPhoneでは外乱を導入しやすいというべきでしょうか。
音楽にひきつけると、RjDjや10 seconds agoなどはその明確な例でしょうね。逆にBloomなどはよりアフリカになる余地がある気もするのですが…。
iPhoneがセレンディピティに満ちた刺激的なデバイスになりうるかは、アプリケーションの開発者の手に委ねられているともいえます。ただ、iPhone自体がプラットフォームとしてその可能性をはっきりと提示していることは確かでしょう。
An iPhone developer is a human being with full of Africa in him or her.
と定義されるようであってほしいものです。
イーノのインタビューを読むと、創作活動における自分自身の思考と嗜好の限界を打破するために外乱を利用するという構図が見えてきます。次はこの予測不可能性に焦点をあてたポストを書きたいと思っています。
インタビューのその他の骨子は以下の通り。
・生成音楽とアーティストの役割の変化
・プロデューサーとしてのイーノ自身の仕事
・音楽の未来を予測
全文が公開されているので、ちょっと長いですがぜひ読んでください。
博士論文でも参照した本
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