音と匂いと触覚の世界

2007 BLOG

# まじめな話を「ですます調」で書くのってすごく難しい. 書いてて,なんだか落ち着かないので,今日はいつもと文体が違います.すいません.

僕も彼女も読書が好きだ.よく二人で本の話をするが,僕の小説の趣味で理解してもらえないジャンルが二つある.一つは時代小説(鬼平は昔,全巻集めた).もう一つは推理小説,特に大正から昭和初期にかけての怪奇小説の独特の世界観がたまらない.最近,たまたま古本屋で叩き売られていた「江戸川乱歩傑作選」を買い,敬愛する作家の一人,乱歩の世界にまたのめりこんでしまった.その名の通り乱歩の傑作とされる短編を集めたこの本の中にあって,乱歩作品の中でも最も好きな作品の一つが「人間椅子」である.とある椅子職人がふとした好奇心から自分の体の大きさに合わせて作ったソファーの中で生活する,というちょっと気味の悪い話ではある.ソファーの暗闇の中で,皮越しに感じる触感,体臭,あるいは聞こえてくる声,これらの感覚が研ぎすまされていく過程を描く部分が秀逸であることを,十数年ぶりに再確認した.やがてこの職人は,自分の膝の上に座る女性に対して恋心を抱き….   最後の最後に乱歩らしいオチがつくので未読の方にはぜひおすすめしたい.

一方で,これもたまたま近所の図書館で手にした本 “視界良好先天性全盲の私が生活している世界 が,非常に面白かった.先天性全盲(生まれつき目が見えない)の著者の河野泰弘さんが,どのようにこの世界を認識し,周囲とのコミュニケーションをはかり,日々の生活を送っているかを,やさしいタッチでまとめたエッセイ集である.視覚障害者の方々は,視覚が遮断されることで,いきおい聴覚と嗅覚によって世界を「見て」いる.その世界がいかに豊かであるか…  自分自身,目が見えるがゆえに「見えていない」世界があることを痛感した.これまで,聞こえが良いだけの薄っぺらい言葉だと感じていた「障害も個性の一つだ」という言葉にも,この本を読了した今なら素直にうなづける.

Tangible Interface, Auditory Interfaceなど,インタラクティブなコンピュータシステムを考える上でのヒントが詰まった本でもあったので,(人間椅子と並記する失礼を省みず) 読了後の感想などを書いてみたいと思う.

“視界良好―先天性全盲の私が生活している世界” (河野 泰弘)

視覚障害者の人が音をたよりに,自分におかれた環境を認識し,頭の中にイメージを形づくる,そこまでは分かる.しかし,先天的に目が見えない人が,どのようにイメージを描けるのか,以前から不思議に思っていた.たとえば,童話を読む.怪獣にさらわれたお姫様を王子様が助けにいくお話.僕たちは,絵本で見たりテレビで見たりして,怪獣というとなんとなく緑色の鱗があって,鋭い目をしていて,長いしっぽをもっていて… といったステレオタイプなイメージを持っている.もし本の中に,「鋭いつめを持っている」とか「赤くて長い舌をもっている」といった描写があれば,思い描く怪獣像を微妙に修正することになるだろう.全盲の子供はどのように「かいじゅう」という言葉からイメージを描くのだろうか?

全盲の人にとってはまず「赤い」ということがどういうことなのかが,難しい問題である.本の中には,色はすべて「モノ」との関連で覚えていると書かれている.たとえば,「赤」はリンゴやバラの色,青は「空」や「海」の色,等々である.従って,それらの「モノ」から連想される感覚と,色のイメージが直結しているらしい.つまり,「赤」はなんとなく華やか,「茶色」は土のいろだから落ち着く色に違いない,といった具合である.

また,モノの形に関しては,実際に触ることによって把握する.犬や猫がどういう動物かは身近で買われているものを触ることで想像ができるが,実際に触れないオットセイのような動物を想像するのは至難の業だと書かれていた.こうして出来た形のデータベースと色の「イメージ」のデータベースを組み合わせることで,自分をとりまく世界の像を頭の中で作って行くようだ.

この本の中で非常に印象に残ったエピソードが一つ.小学生のときに出された家の中の身近なものを描くという図画工作の宿題で筆者は灯油の入ったドラム缶を描こうとしたという.ドラム缶の形は実際に触れることで,上下が円形でその円をぐるっと取り巻くように側面がある,ということがわかった.しかし,その3次元の形態をどのように2次元の紙の上に表せばいいのかがさっぱり分からなかったというエピソードである.我々が対象物を把握すると言った場合,ある視点から見た場合にどう見えるかを知ることとほぼイコールであろう.目のスクリーンに映った像,つまり,3次元から2次元へと次元を落とす操作が行われた後の対象物を記憶する.もちろん,僕たちは複数の視点から得られる複数の二次元画像を組み合わせることで,対象の三次元的な形状を理解してはいる.一方で,目の見えない人たちは対象をある意味で3次元のままで理解し,記憶しているのではないだろうか.そうした人たちがイメージする世界をぜひ僕も見てみたい,感じてみたいと思う.もし画像として表現することが出来たならば,ピカソも驚くような斬新な表現が生まれるだろう.

その他,声のピッチの変化で相手のお辞儀の深さが分かる,足音の反射音を聞き分けることで周囲の障害物の有無が分かる,水の音の変化を聞き分けることでコップにどのくらい水を注げばよいかが分かるといった話も,僕のように音とインタフェースについて考えている人間にとってはとても興味深い.また,音のなる信号のない交差点をわたるには(実際,音のなる信号はまだまだ少ないようだ),往来を通る車のエンジン音から信号の状態を推測するしかないため,車通りのない交差点ほどわたりにいくという話もハッとさせられた.

河野さんのように聴覚と想像力にたけた人でも,友人からのメールは音声合成の読み上げ機ではなく,点字ディスプレイで読んだ方が,よりいっそう相手の思いに想像を馳せることができるというのも面白い(点字ディスプレイ – たとえばこういうの-の存在も恥ずかしながら初めて知った ). 

きっと目が見えることで,衰えてしまった感覚,想像力が僕にもきっとあるはず.今度,機会を作って,目を閉じたまま,街を歩いてみたい.それから,交差点で立ち往生している視覚障害者の人には声をかけてあげよう.そんな風に思った.
河野さん,素敵な本をありがとうございました.