freesoundプロジェクト – Wrap up
2007 BLOG
前回のポストで簡単に説明したfreesoundプロジェクトについて、その可能性をより端的に示した映像を紹介する。
これは、freesoundプロジェクトを始めたBram de Jongのプレゼンテーションの模様で、去年僕がバルセロナのSONARフェスティバルで撮影してきたもの。前半がfreesoundのサンプルを使って作成した楽曲のライブパフォーマンスで、その後に詳しいライブの説明がある。後半はサンプルをGoogle Map上に位置づけるGeotagの説明である。アマゾンの鳥の声やサボテンの花がはじける音など魅力的な音が地図上にマップされていることを説明している。
特に注目してほしいのは前半のライブ部分。ただサンプルがアノニマスに利用されているだけではなく、楽曲が進行するに従って、そのタイミングで使われているサンプルのタグとその作者がグラフィカルに表示されるようになっている。使われているサンプルに共通するタグやユーザ名はより大きく表示されるようになっているため、今どのような内容のサンプルが/誰のサンプルが使われているのか、その場で曲を聴いている人にも伝わるようになっている。グラフィカルな表示によるクレジットとCCライセンスの採用によって、他人の創作物を二次利用する際に必ず立ち上がる問題を見事にクリアしている。
僕がfreesoundに興味を引かれるのは、創作物の二次利用に新しいモデルを実現していることである。CCの活動が法的に体系づけたモデルを、実地に形にしている点である。たとえば、YouTubeをfreesoundで検索してみるとよくわかるが、すでにfreesoundのサンプルを使った映像コンテンツが数多くみられる。こうした流れは、なにも自主制作映画やホームムービーなどにとどまらない。日本ではトゥモローワールドというタイトルで公開された2006年のイギリス・アメリカ映画 Children of menでも、freesound内の叫び声のサンプルが利用されているらしい(これが証拠写真!!)。
一方で、こうした話しをすると必ず、「人の作った物で作品を作って、果たしてそれで創作と言えるのか?」という問いを発する人がでてくる。
最近、とあるアニメ監督がインタビューの中で、他人の作品を見るときには「どこまで自分自身で作っているかが一つの評価軸になる」と言っているのを聞いた。また、ジャンルを問わず創作活動を行うアーティストの中には、全ての素材(ミュージシャンなら音色)を自分で作っていると公言し、そこにこだわりを持っている人を散見する。たしかにそうしたこだわりが作品にとって重要な位置を占めることがあるのは認めるが、個人的にはそういう言説を聞くとどうしても怪しいと感じてしまう。ほんとうに自分で全部作っているといっていいのだろうか?シンセは自分でつくったのだろうか。そのコンピュータは?
むしろ、 他人の創造性の上に自分の創造があることを素直に認める、”Standing on the shoulders of giants”であることを認める方が潔い。CCという法的な力とfreesoundのような実際のシステムによって、”Giants”への敬意を明示的に示す方法が実現されたことの意味はけっして小さくはない。
最後に個人的な思いを書くと、自分がサンプリングのような創作物の二次利用を行う場合、もとになった創造性のプールが、その上に自分なりの創造性をつけくわえられるだけの余地を残しているかどうか、には常に気を配るようにしている。「探索」は、対象となる探索空間が広ければ広いほど「創造」に近づく。生物の誕生/進化のように。
freesoundのデータベースが巨大になればなるほど、新しい創作の可能性が開けてくると信じている。
おまけ。SONARでのスナップショット。
僕の正面に座っているのがBram。後ろはreactableのTable MartinとMarco。
そのとき食べたパエリア! 安くてうまくて量が多い!
そしてなぜかJapan…
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