「いつか音楽を考えるに対する返答」に対する返答

ドミニク・チェン氏 (Creative Commons Japan / 東京大学)から、僕のポスト、「天才のためのツールとは?」と「いつか音楽と呼ばれるものを考える#1」に対するコメントをいただいた。

「万人に役に立つ/有用性」の世界と「一万人に一人のため」の世界という切り分け方.薄っぺらい大義と視野狭窄な自己満足.どちらともそれ自体が目的化される事柄ではない.状況認識に過ぎない.ここで考えさせられるのは,「自分のために役に立つ」というスキームがあまり語られていないことだ.自分という地平と他者という地平が相互作用する中間領域を考えずして,「有用性」の議論は行えないのではないだろうか。(ドミニク・チェン氏のblog “dérive”より引用。下線は引用者による。)

たしかにその通りではあるのだが、実は『「自分のために役立つ」いうスキーム』については、すでに「いつか音楽と〜」の最初に触れている。

….freq in Tokyoで一つ良かったのは、自分がパフォーマンスで使うソフトウェアを自分でつくる、そしたパフォーマとしての訓練をつむというスタンスが実践されている点である。えてして、ソフトウェアを作った時点で力つきてしまって、実際にそのソフトウェアをパフォーマンスで使いこなす、その操作に通暁する/熟達するところまで到達しない場合が多い (これは自戒もこめて)。楽器を弾くかのようにCubieを使いこなす藤岡さんの姿に、見に行った三人(SWO城、Monalisa永野、で僕)は一様にうなってしまった。(いつか音楽とよばれるものを考える#1より引用。下線追加)

「自分が使うツールをソフトウェアとして作る、そして自分で使う」という枠組みをふまえた上で、その「外」で、ソフトウェアを作ることで音楽に関わって行くあり方を、やや乱暴に二つにわけた結果、「万人に役に立つ…」「一万人に一人の人に…」という極端な例になったことを再確認させてほしい。その上で、「天才のためのツールとは」では、「自分のための/限られた人のためのツールを作る」ことの重要性を強調する永野氏に対する反論として、あえてそれらを「万人のためのソフトウェア」と同じ地平に並べることを試みた。その上で、では、MonalisaやSONASPHEREのように「限られた人のためにソフトウェアを作るとはどういうことなのか?」というところでポストが終わっているのだが、それに関してもドミニク氏が面白いことを書いてくれている。

しかし,「自分で作った飯を自分で食べ続けること」に興味がない「アーティスト」や「表現者」というものはどう捉えられるのか.例えばテルミン博士のように,新しい楽器を作ったならば,他の誰よりもその楽器の演奏を熟達してみることについての考えは,表現者としての骨太度合いを図る分水嶺になるのではないだろうか.もちろん,そればかりに表現者の力量は固定できないだろうが,それは表現者の社会責任とでも呼ぶべき領域に属することなので,別途議論が必要かもしれない.(ドミニク・チェン氏のblog “dérive”より引用)

これに対する僕の考え方はこうだ。
たしかに、Monalisaのようなソフトウェアの制作者は、従来的な意味でのアーティスト、表現者とは異なる。SONASPHEREを作ったからと言って、それだけでアーティストであるとは言えないだろう(そのことに意識的になって以来、僕のことをアーティストとクレジットしないように頼むようにしている)。しかし、作ったソフトウェアが、限られた先進的なユーザ(自分「ソフトウェアを作った本人」も含む)の手で使われることで、新しい表現の領域を開拓できたとすれば、そのソフトウェアを作ることがメタな意味での表現であると考えるのはナイーブにすぎるだろうか。特にそのソフトウェアのが特殊で使いこなすのが難しい、あるいはそのソフトウェアを通してのみ成り立つ表現の領域があり得るといったように、ソフトウェアが先鋭的であればあるほど、ソフトウェアの制作と表現行為の境界が曖昧になっていくはずだ。

アート作品そのものではなく、作品のプラットフォームを規定/開拓する、そこでは最終的な「作品」と呼ばれる制作物が最終的に誰の手によって生み出されたのかは問わない、それが僕の考える新しい表現者の「ひとつの」形である (ドミニク氏自身の言葉をかりるならば 「アーティスト2.0)
(ついでに、「自分で作ったわけでもない飯を食べ続けている」アーティストや表現者はどうとらえられ るのか、彼にぜひ尋ねてみたいところである。)

ドミニク・チェン氏の先に挙げたポストの後半には、

それと「いつ音」の議論では,マスのために分解能を上げる話(オープンソースやWikipedia)と,フロンティアのための解像度をあげる話(Monalisa、Sonasphere)がごった煮にされているのが気になった.両者を同次元で語っていては,議論が発展しないだろう.
ref: 分解能/解像度

という下りもあるが、これは確かに言われているとおりなのかもしれない。自分たちで話しながらもまだ話の行方が見えないところが多い。この辺り、Creative Commons Japanの理事でもある彼と、彼の分解能/解像度の考えたも含めて、じっくり話をする機会をぜひもちたいものだ。次の「いつか音楽と~」はMass-ParticipationMass-CollabolationMass-Creativity (もしくは Mass-turbation?! 笑) に焦点を絞って議論を続けたいとも思っている。

仲間や知人とこういう形で今後も議論を進めて行けると非常にうれしい。個人的に、まだまだ議論下手だなという実感があるので、そのあたり自分でも精進して行きたい。

話は完全に飛ぶが、Google Mapの地図データが変更されているのを昨日教えてもらった。うちのまわりは桜が満開の時期に撮られたものののようで、いたるところがピンク色。各地でお花見をしている様子が見える。外国の人がみたら驚くだろうな。

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2 Comments

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My Codex Leicester (いつか音楽と呼ばれるもの)
January 9, 2008 at 9:27 pm

「いつか音楽と呼ばれるものを考える」 #2-2…

場所を移して前回の続き.
SONASPHERE,Monalisaを実際に使ってもらった感想からふくらませて,(遺伝的アルゴリズムによる)自動作曲の問題点,楽器的熟練を要するソフトウェア,ソフトウェ…

#002-2
May 31, 2008 at 6:20 pm

[…] 議論の続きとして,「いつか音楽を考えるに対する返答」に対する返答も合わせてチェック. […]

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