はじまりました. – ICC OpenSpace 2018 – “Imaginary Landscapes”

昨年の「The Latent Future」に引き続いて、今年もNTT InterComunication Center (ICC)のOpenSpaceに参加させていただくことになりました。

昨年後半から取り組んでいる、風景写真からサウンドスケープを生成する仕組みが、今回の作品のベースになっています。Google StreetViewの中を、仮想のサウンドスケープを聴きながら歩き回ることができる、Webベースの作品「Imaginary Soundscape」。同じ仕組みをインスタレーションとしてまとめ、今年2月のMedia Ambition Tokyoで発表した「Imaginary Soundwalk」。これらに続くImaginary シリーズ第三弾として、今回の作品は「Imaginary Landscape」と名付けました。(期せずしてジョンケージの作品名とかぶってしまいましたが…)

3面にプロジェクションが打たれたキューブ上の部屋に入ると、それぞれに風景写真が投影されています。一見、まるでGoogle StreetViewの中に入ったかのようにも見える、ひと続きのパノラマ写真のように見えますが、実際は三枚の写真はまったく異なる場所で撮られた写真です。

新宿とナイジェリアのラゴス、ニューヨークのビル群がつながって一つの風景をつくっていたり、砂漠の中のまっすぐな道がアイスランドの雪原をつらぬく道につながっていたり(雪原と砂漠を見間違えている?)、ボートの上でリラックする水着の観光客の両サイドに南極の氷河が広がっていたり…  世界の多様性と一様性 (=全体としては多様だが、地理的な位置や地政学的な環境の差異を超えた類似性が見られることが多い) が混在した不思議な風景が現出します。

大量の風景写真をディープラーニングで解析し、類似性が高く、かつ連続的(隣の写真とのつながりがスムーズ)な写真を選ぶことで、この仮想的な風景 Imaginary Landsccapeが生み出されています。写真の連続性を判定するモデルは、今回の作品用に畳み込みニューラルネットワーク(CNN)で学習しました。またこれまでのImaginaryシリーズで使ってきたサウンドスケープを生成する仕組みも、そのまま利用し(環境音のデータセットは大幅に拡張しました)、3面それぞれに音を付加することで、多重にImaginaryな、不思議な空間を構成することができたと感じています。

ICC側からOpenSpaceへの参加を打診された時には、Imaginaryシリーズのつづきを作りたいとぼんやり思っていた程度で、はっきりしたコンセプトがあったわけではありませんでした。打ち合わせの中で、三面の壁全体にプロジェクションが打てる部屋、CAVEを展示スペースとして使うことが決まり、そこから作品の内容が固まって行ったという流れです。


一方で、作品の内容が固まる前から決めていたことが二つあります。まずは、システムやテクノロジーがあまり前に出ない (=技術デモにならない)ようにすること。初見でどんな技術を使っているのかに意識がいくのではなく、単純に映像として美しい、体験として面白いものにしたいと思っていました。
もう一つは明示的なインタラクションはなしにするということです。インタラクションを設けることでどうしても鑑賞者の意識が、その「やりとり」にもっていかれてしまって、じっくり作品を感じることができない… そんなことを最近のいわゆるインタラクティブアートに対する不満として感じていました。もしかして明示的なインタラクションをなくすことが、作品との深い対話=インタラクションを実現する近道なのかも、とも。

ハイパーリンクに基づく(なんて言い方自体がもはや時代遅れな気もしますが)WWWを筆頭に、インタラクティブなメディアが当たり前。もはや非インタラクティブなメディアはマイノリティーになろうとしていると言っても過言ではないと思います(絵本の絵を拡大しようと二本指でピンチアウトして、「ママ、これこわれてるよー」と言う子供たちが、そんな時代を体現しています)。そんな中で実はこちらが操作できるわけでもないスタティックな対象を「見る」「読む」「解釈する」といった行為が、一番「能動的」な行為なのではないか、「受動性」の価値が、見直されるべきなのではないか、そんなことを考えていました。


最後に… 最近久しぶりに読んだ三島由紀夫の「金閣寺」から。金閣寺に放火する主人公の青年僧侶とその友人・柏木が嵐山の小督局(こごうのつぼね)の墓を訪ねる一節。(以下、新潮社文庫版の125ページから引用)

塚は細い小径の奥にあり、巨きな楓と朽ちはてた梅の古木とにはさまれている小さい石塔にすぎなかった。
(中略)
「優雅の墓というものは見すぼらしいもんだね」と柏木が言った。「政治権力や金力は立派な墓を残す。堂々たる墓をね。奴らは生前さっぱり想像力を持っていなかったから、墓もおのずから、想像力の余地のないような奴が建っちまうんだ。しかし優雅の方は、自他の想像力だけにたよって生きていたから、墓もこんな、想像力を働かすより仕方のないものが残っちまうんだ。このほうが俺はみじめだと思うね。死後も人の想像力に物乞いをしつづけなくちゃならんのだからな」

僕は物乞いをつづけられる人になりたいです。いや、物乞いではなく、イスラム教やヒンズー教の喜捨の文化のように与えるチャンスを与えている、そう思いたいです。


OpenSpace 2018は来年3月までの会期です。ぜひ足をお運びください!!

なお、今回の展示のシステムは主にQosmoにこの1月に加入したRobin Jungersが担当しています。データ収集のところでSFCの藤波秀麿くん、機械学習のところで東大の梶原侑馬くんの二人のインターンの力を借りました。お疲れ様でした!