ブライアン・イーノ マシンとしてのiPhone
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今日はiPhoneと音楽の話。
iPhoneの音楽アプリは数あれど、これは新しいと思えたものはそんなに多くはありません。その数少ないなかでも特に注目すべきものは(もうすでにいろいろなところで話題になっていますが)RjDj とBloom でしょう。
永野くんのブログでも、「iPhone, そしていつか音楽と呼ばれるもの」シリーズの記事の中でまっさきにこの二つが取り上げられています。(RjDjをみたときに「やられた感があった」というのは同感。まさかPureDataをそんなに早く移植してしまうとは…)
「iPhone[ブライアン・イーノ マシン]である」
iPhoneが生成音楽(Generative Music)のプラットフォームになりうる可能性を、僕は以前から繰り返し主張してきました。この予言は、イーノ自身がBloomをリリースしたことでこれ以上望めない形で的中したことになります。
iPhoneアプリの動向を追いかけている方ならすでにご存知かとは思いますが、Bloomがどんなアプリなのか簡単に説明しておきましょう。Bloomを起動すると、微妙に変化を続けるグラデーションのかかった画面が表示されます。画面上をクリックすると、ピアノの音が鳴ると同時に波面が画面に広がります。クリックで鳴らされた、ピアノの音はループしながら微妙に変化を続けていきます。非常にシンプルなアプリケーションですが、「イーノ品質」の音がすばらしく(意外なことにソフトシンセらしいです)、何時間でも聞いていたくなります。ただ、ピアノのような音が少々大きすぎて、Music for Airportを彷彿とさせるアンビエント音がかき消されがちなのが残念です。
そのブライアン・イーノが、iPod touch?に入ったBloomとともに今月のサウンド&レコーディング誌の表紙を飾っています。インタビューは、デビッドバーンとの競作となった最新作「Everything that happens will happen today」とBloomに関して。
“サウンド&レコーディング・マガジン (Sound & Recording magazine) 2009年 1月号 [雑誌]” (サウンド&レコーディング・マガジン編集部)
その中で特に興味深かったのが、イーノが「委ねる」(ゆだねる) という言葉を繰り返し使っている点です。セックス、アート、宗教、ドラッグといった超人格的力に対する「surrender」から、「委ねる」ことを積極的に肯定する、という話題に入っていきます。詳しくはインタビューを読んでいただくとして、作曲における「偶然性」を重視するイーノらしい発言だと受け止めました。Bloomを題材に音楽における「委譲」をテーマに取り上げた永野君のポストもあわせてお読み下さい。
作品の「完成」をリスナーに「委ねる」ことで、メディア上に固着した作家性の淀みとしての「作品」を解体する。その一方で、一聴してイーノとわかる音色と独特のテクスチャを生み出すアルゴリズム(ディレイタイムの微少な変化にこだわったとか)など、「作品」と「作家性」の同一性は保持される。という、二重構造が見て取れます。
ちょうど、今、読んでいたバルトの「作者の死」(“物語の構造分析” 所収)ともも呼応するものを感じました。「創造主」としての「作者」が創り出し、一意な読み解き方を読者に期待/強要する「作品」は解体され、「読者」が積極的に意味を与え完成させる土台としての「テクスト」-創作と引用とネットワーク- に道を譲る。(と、僕は理解したのですが。。。)
そのほかにも「テクノロジーは元来の使い方から逸脱した使い方をされなければならない」といったイーノらしい発言もあります。もし僕らがインタビューするなら、
「iPhoneにはアフリカが十分に含まれているか?」
と、ぜひ聞いてみたいですね。(もとネタはこちら。via 城君)彼はなんと答えるかな?
一月にはバーンとともに来日公演も予定されているとのこと。これはぜひとも見に行きたい!
ps. どうもブログが読みにくいとのおしかりをいただいたのでフォントを変更しました。それでもまだいまいちなので、ちかいうちにオーバーホールします。それまでしばらくの間、ご辛抱下さい。
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