Musicacoustica/EMS 2006 (北京) 報告
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中国・北京の中央音楽学院で10月23日から28日にかけて行われた,北京国際電子音楽祭 Musicacoustica 2006 ならびに同時に開催された,Electroacoustic Music Studies Network(EMS) 2006に参加するため,22日から26日の四日間北京に滞在した.今回の滞在の主たる目的は,EMS06において,Phonethicaプロジェクトの概要についてまとめた論文「Phonethica」(Takumi Endo, Nao Tokui)を,プロジェクトの草案者・遠藤拓己とともに発表することにある.EMSは,エレクトロアコ−スティック音楽にまつわる審美的,社会的な諸問題に関する議論の新しい学会で,前回はモントリオールで開催されている.一方,Musicacousticaは,今回で7回目となる中国の現代音楽/電子音楽の祭典で,中国の作曲家の作品を国内外に紹介する場となっているようだ.
また,期間中の空き時間に北京のアートシーンの中心地「大山子藝術区」を訪れ,中国の現代アートの勢いを肌で感じることができた.以下に,EMS, Musicacousticaに参加した感想とより広い意味で中国のアート/音楽の今について感じたことをまとめてみる.
EMS06のテーマは「Language」「言語」.
Phonethicaのコンセプトの根底には,言語と音の関係,音楽/言語の双方が持つ曖昧性/多義性があることから,発表するのに適当な場と考えて論文を提出した.しかし,実際に学会がはじまってみると,Language/言語というよりは,Terminology/用語法が議論のテーマであり,こちらの思惑は外れたかたちとなった.行われた議論は,
・Electroacoustic Music, Acousmatic Music, Computer Music, Sonic Art, Sound Artといったジャンルを表す言葉の定義
・ジャンル間の階層構造,相互関係の定義
・音楽を描写する言葉の定義/使用例の解析
などが中心である.
特に学会の名前にも使われている,Electroacousticという言葉の定義には議論が集中した.Electroacousticは言うまでもなく,ElectronicsとAcousticを組み合わせた言葉であるが,字義通りに解釈すると,ほとんどの音楽がElectroacousticに分類されかねない(たとえば,アンプで増幅したエレキギターを使ったRockなどもElectroacoustic Musicと言えなくもない).Computer Musicといった言葉も,Pop Musicを含めた多くの音楽がComputerを用いて作られている現状を鑑みるに,従来の「Computerを使った実験的な音楽」といったニュアンスを表すのに適当ではない.同時に「道具/メディアとして使っているComputerをジャンルの名前に使うのは,フルートの曲をFlute Musicと呼ぶようなもの」だという意見も出された.そんな中で,一般的な音符を基にした音楽(クラシック,ポップス,ロックなど)と対比する意味で,「Sound-based Music」という単語が提案された.自己矛盾を抱えたような言葉自体も面白いが,これまで得てして区別されがちだった現代音楽の流れを汲む電子音楽とダンスミュージックなどに源流を求めることのできるエレクトロニカなどの音楽を包括する概念として,Sound-based Musicという言葉が提案された点は注目に値する.これまで相互に交わることがなかった二つの流れをまとめて考えようとする視座が生まれつつあることが確かに感じられる.
インターネット上なので大規模な音楽データベースを構築し,利用する場合,音楽を言葉で記述し,分類することが(少なくとも現時点での技術では)今まで以上に重要になっている.そのために,人文科学的な音楽学の世界にも「言葉」「用語法」を考え直そうという動きが生まれていることも興味深い.
Phonethicaの論文発表は,ときより聴衆の間に笑いも混じる中,好意的に受け入れられた.質問は,音が「似ている」という感覚の恣意性に集中した.投票機能をもったWebシステムの内容について,改めて説明し,おおむね理解が得られたようだ.学会のテーマから外れてはいないというコメントもいただけた.音楽との関係性についての質問がでることを懸念していたが,杞憂に終わった.言語と音楽に共通する特徴としての恣意性/曖昧性と,それによって担保される多様性といっったプロジェクトの背景にある基本的な思想は,音楽に造詣が深い聴衆だけに伝わったものと思われる.
EMSでは,論文発表と平行して一連のコンサートが行われた.そこでのコンサートは,正直に書くと目新しいものはほとんどなかったが,中国の作曲家の作品に接することができたのは,一つの収穫である.中国の伝統的な銅鑼や鐘の音,あるいは中国語の独特の響きを現代音楽風に使用した作品が多く,耳新しく新鮮ではあるが,いずれもいわゆる現代音楽の枠を越えるものではなかった.一方で,Musicacousticaで配布された若手の作曲家のコンテストの入賞作品を聞くと,自然なかたちでリズムを取り入れ,微妙な変化が積み重なって全体の構成が生まれてくるような作品も見受けられた.上述のように,現代音楽とエレクトロニカの二つの文脈を抵抗なく取り込んでいく作曲家の層が,中国の若手にも生まれつつあるようだ.また,カンファレンス,コンサートの聴衆にも若者の姿が目立ち,何か新しいものが生み出されそうな勢いと熱気を感じた.それに合わせるように,音楽関係の出版物が急速に増えているらしい.日本でいうSound&Recordings誌のような,音楽制作に関する総合雑誌が先日創刊されたのに加えて,電子音楽のバイブル的な大書, “The Computer Music Tutorial” (Curtis Roads)(日本語訳 “コンピュータ音楽―歴史・テクノロジー・アート” (青柳 龍也, 後藤 真孝, Curtis Roads))が先頃,中国語に完訳され「計算機音楽教程」として発売されることが決まっている.コンサート会場のPAなどの設備も日本のそれと遜色なく,政府が電子音楽に関する教育,作曲家の育成にかなりのお金を投資していることが分かる.それに会わせて,ヨーロッパ,アメリカの関係者の視線の先が日本から中国に移行していることをも肌で感じた.
大山子藝術区にて
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